周渭祠
周渭祠は周王廟とも言われ、宋の時代の監察御史の周渭様を祭るために建てられたお寺です。恭城県の東にあり、明の成化十四年(1478年)に建てられ、1723年に一度建て直されています。敷地面積1600㎡で、舞台、玄関、正殿、後殿両脇の棟から構成されていました。現在、舞台と御殿はすでになくなっています。
玄関はお寺の精髄とされ、広さは五部屋分あり、軒が重ねており、明清時代の建築の特徴がはっきり表れています。五層の枡組が各階の外に突き出て、壮観で雄大な勢いが感じられます。重なっている軒がまるで蜂の巣のようで、蜜蜂楼と呼ばれています。斗拱は鶏の足のような形をしているので、その上の軒は風通しがよく、上方で緩やかな旋風が発生するため、鳥などがここに巣を作らず、自然的に鳥や虫よけを行うことができます。
正殿には周渭の塑像があり、両側には壁画の形式で周渭の生涯と詩文が書かれています。周渭(922年~999年)、字(あざな)は臣、恭城県路口村の生まれです。宋の時代の監察御史で、清廉且つ公正のため、有名になった官吏で、行政上の成績も優れ、亡くなってから忠祜恵烈王(祜は福の意味)と奉じられました。周渭は故郷の人々の苦しみを理解し、農民の租税を減免するため何度も皇帝様に提案したり、学校を作ったりしました。また当地の人に多くのことを教えたそうです。人々は周渭への感謝と尊敬を込めて、この地に周王廟を造ったのです。
後庁にはヤオ族の至宝「梅山図」が陳列しています。「梅山図」は清の乾隆九年(1744年)に描かれた絵画です。全図は五巻からなり、全長500m余りあります。上に様々な姿勢や表情をしている人物が約1000人が描かれ、千年前の瑤(ヤオ)族の生産文化、生活や宗教などを表しています。「梅山図」はヤオ族で唯一な無傷で保存されている貴重な絵画となっています。