セラ寺(色拉寺)

 

セラ寺はラサ北郊のセラ・ウツェ山(烏孜山)の麓にあります。寺の名前の起源については、創建し始めた頃に激しい雹が降っていたことから「セラ寺」(チベット語で「雹」の発音は「セラ」)、また、一面に野バラが咲いていた場所に建てられたことから「セラ寺」(チベット語で「野ばら」の発音は「セラ」)、というように二つの説が存在しています。
セラ寺は代表的なゲルク派(黄教)の寺院で、チベット仏教ゲルク派六大僧院の一つに数えられており、ラサ三大寺の中でも最後で建造された寺院です。1419年にツォンカパの弟子であるジャムヤン・チュジェ・サキャイェーシェーによって創建され、18世紀初期にグーシ・ハーンがセラ寺の拡大に尽力しました。デプン寺と並び、多くの高僧を輩出しており、最盛期には5500人を超える僧侶がこの地で修行に励んだといわれています。かつて鎖国時代には河口慧海や多田等観らが日本人であることを隠して、仏法を求めこの地でチベット仏教を学びました。
寺院の主要建築としては措欽正殿、麦巴扎倉(経学院)、結巴扎倉、阿巴扎倉及び32の康村があります。寺院内にはサキャイェーシェーが皇帝より賜り、北京からチベットに持ち帰ったとされる仏経、仏像、法器、僧衣、金銀など大量な珍物と細工を保管しており、なかでもシルクでできた長さ109㎝、幅64㎝サキャイェーシェーの絵画は500年の年月を経た今でも色彩の鮮やかさを保っています。ほかにも1万を超える地元で生成された金・銅製の仏像やインドから伝わってきた銅像もあります。