藩陽故宮博物院
2004年世界遺産登録。1625年に後金の初代皇帝ヌルハチと2代皇帝ホンタイジの皇居として建てられ、清代にも引継ぎ離宮として用いられた。総面積は約6万平方メートル。北京故宮の12分の1の大きさであるが、漢民族、満州民族、蒙古民族の様式が融合した建築物は北京故宮とは一味違った趣がある。
敷地内は大きく東、中、西路に分かれる。東路正面に建つ大政殿は、藩陽故宮の中で最も古く、かつて大典が行われていた場所である。八角二層の瑠璃瓦が特徴的なこの建物は、漢、満、蒙の3民族の建築様式を取り入れた傑作といわれている。中路にはホンタイジ時代に建てられた崇政殿、清寧宮、鳳凰楼がある。中央は玉座の置かれた崇政殿、その背後には三層の鳳凰楼、さらに奥には皇帝や皇后、皇族達の生活していた建物がある。三層から成る鳳凰楼は故宮で最も高い建物。三層目からは市内が一望できたという。清寧には、皇帝と皇后の寝室と側室の寝室4棟が並ぶ。西路には嘉陰堂、戯楼、歴代の重要書「四庫全書」を収めていた文溯閣などがあり、これらは北京遷都後に乾隆帝により建設された。ヌルハチとホンタイジの宮殿であった故宮は、順治帝が都を北京に移した後も離宮として、先祖の墓参りや東北地方巡回の際に皇帝が滞在していた。現在は瀋陽故宮博物館として公開され、建物内には高貴な家具、調度品や食器類が展示されている。