黄帝陵
黄帝陵は中華民族の開祖とされる黄帝軒轅氏の陵墓で、陝西省延安市黄陵県の北に位置しています。1961年に国務院から国の重要文化財に指定され、「天下第一陵」と称され、中国歴代の皇帝や著名人がこの地で祭祀を執り行っています。黄帝陵は橋山の上で建てられ、かつては「橋陵」と呼ばれていました。その後、1942年に陝西省浦城豊山唐睿宗の橋陵と区別して、「黄帝陵」と名付けられました。その年の冬には国民党中央委員会委員長・蒋介石が「黄帝陵」の三文字を書いた石碑を建て、黄帝の墓の前に設置し、黄帝陵が所在する県の名前も中部県から黄陵県に変更されました。
軒轅橋
軒轅橋は黄帝陵の真正面にある面積1万㎡の入り口広場の北部にあり、幅8.6m、長さ66m、高さ6.15m、全てが花崗岩で作られています。橋の欄干上部には古典的且つ精美な図案が彫刻されており、軒轅橋の下には敷地面積20万㎡の印池があります。また、軒轅橋の北部には95段の龍尾道が続き、95段目は黄帝の「九五之尊」を象徴しています。そして、龍尾道を沿って上に登るとお寺の山門にたどり着きます。
陵墓区
陵墓まで続く石道の右側には「下馬石」があり、上には「文武官員至此下馬(文官武将ここで馬から降りる)」と書いてあります。陵墓の高さは3.6m、周囲は48mで、南には明の時代の「橋山龍馭」という石碑が立ち、東には歴代の皇帝が祭祀を行った際に作った57の碑文57本を秘蔵され、西には香港とマカオの帰還を記念する石碑が立っています。正殿は黄帝の「人文初祖大殿」があり、ここにある「人文初祖」いう言葉は愛国将領・程潜という人物が書いたものです。殿内には玉石を彫刻した黄帝の像があり、神棚も設立されており、周りには青龍、白虎、朱雀、玄武という中国古代の四神獣が飾られています。陵墓の前には祭祀を行う場所として祭祀亭を建てられ、中には「黄帝陵」と書かれた石碑を立っており、元々は蒋介石が書いたものでしたが、1956年の修復時に現代著名詩人である郭沫若が書いたものに変わっています。
軒轅廟
軒轅廟は「黄帝廟」ともいわれ、1993年以降に建てられた新しい建築で、軒轅廟と祭祀大殿の2つに分けられています。総敷地面積8000㎡に花崗岩で構成された雄大な建築物です。また軒轅廟内には「黄帝手植柏」と呼ばれる高さ20m、直径11mの千年古樹があり、五千年前に黄帝が自らこのコノテガシワの樹を植えたといわれています。葉が幾重にも重なり合い、一年中には雨零が落ちることのない緑の大傘のようで、「柏樹之王」とも称されています。
誠心亭
北に進むと「誠心亭」と呼ばれる建物があり、かつて祭祀を行った人はここで衣服を整理し、心を静めてから大殿に入ったといわれています。さらに北には碑亭があり、毛沢東が書いた「祭黄帝陵文」と蒋介石が書いた「黄帝陵」の石碑が設置されています。
掛甲柏
かつて漢の武帝の命令により祭祀の際は18万の大軍が橋山の麓に隊を敷いていたといいます。そして、その時武帝は甲冑を外し、そばにあった一本のコノテガシワの樹に引っ掛けた後、1人で頂上まで登り漢王朝による天下太平の祈りを捧げました。さらに、祭祀が完了したら、その日に全軍を率いて長安に戻りました。これが「18万の大軍、黄陵にて祭祀する」という伝説として現在まで語り継がれています。
このコノテガシワの樹は傷が多くて樹液が流れ出し、折れた釘は樹の奥まで至っています。これが橋山の唯一無二の「掛甲柏」です。