揚州の文化

揚州は古名で広陵、江都、維揚と呼ばれ、歴史は紀元前486年まで遡ります。風景の麗しい観光地で、文化も盛んな所です。揚州はかつて中国古代の最も繁華な商業都市で、名勝古跡は多く、ここには中国最古の運河があり、漢·隋の時代の霊廟、唐·宋の時代の古城跡、明·清の時代の個人園林があります。

中国大運河の揚州区間は運河全体の中で最も古いのです。紀元前5世紀に呉王夫差が古邗溝を掘り開く、邗城を開城して以来、2480年余りの歴史があります。隋の時代に大運河が開通された後、揚州は中国の水上交通のハブとなり、東南地区の繁華都会と国際交流の重要な港埠となり、その名声は国内外にまで広がったのです。李白、劉禹錫、白居易、杜牧、欧陽修、蘇軾、孔尚任、呉敬梓など文化名人が揚州で暮らし、多くの名作を残し、この土地はずっと文学の雰囲気が濃厚です。現在の揚州運河は2000年余り前の古邗溝コースの大部と、隋の煬帝が開いた運河と完全に一致しています。その中で、古運河揚州城区間は瓜洲から湾頭までの約30キロメートルで、有名な「揚州三湾」を構成しています。地理的な位置は独特で、海に面して、交通が発達しており、物産も豊富で、昔から「魚米の郷」という美称があります。唐時代の揚州は運河に頼り、長江に臨み、南北の物資集結地となり、「陸上シルクロード」と「海上シルクロード」の合流点となり、「富甲天下」と呼ばれた国際貿易センターでした。

揚州園林は中国古典園林の中で歴史が長いだけでなく、その独特なスタイルで中国園林の中で重要な地位を占めています。建築の設計、水景の独特な処理、山石の配置など優れた点は中国園林芸術の代表です。揚州の園林は数多く、美しいのです。その中、「中国四大名園」の個園は、揚州で最も有名な観光地の一つです。何園は特色として中国と西洋の風格を融合して回廊建築の魅力を最大限に発揮させ、1500メートルの復道回廊は、中国園林の中で唯一のすばらしい景色です。痩西湖は中国の湖上園林の代表で、古典園林の「南秀北雄」の特徴を一体化しています。