敦煌学
敦煌の名前は後漢の学者応劭によると「大にして盛ん」と言う事だが、実際には紀元前からこの土地を支配していた大月氏と言う国の言葉の音訳です。華やかな敦煌には悠久の歴史があり、輝かしい文化があります。
敦煌文化芸術は莫高窟文化芸術とも呼ばれ、「東方世界の美術館」とも呼ばれています。紀元前4世紀から11世紀まで洞窟735個を保存し、三千体以上の彩色、45000平方メートル規模の壁画、5つの唐宋木造建築が残っています。敦煌は多様な文化の融合と沖撃の交差点で、中国、インド、ギリシャ、イスラム文化がここで融合しました。敦煌は芸術の殿堂であり、4 ~ 11世紀の壁画や彫刻は、人々に強烈な芸術の迫力を与えます。敦煌はまた文献の宝庫でもあります。数万計の赤軸黄巻には、豊富な文献資源が埋蔵されています。漢文、古蔵文、回鶻文、于闐文、亀茲文、粟特文、梵文があり、文字種が豊富です。内容は政治、経済、軍事、哲学、宗教、文学、民族、民俗、言語、歴史、科学技術など幅広い分野に及びます。敦煌はまた文献の宝庫でもあります。
敦煌といえば、敦煌学を言わなければなりません。1900年旧暦5月26日、敦煌の莫高窟で蔵経洞が発見され、古文書が蔵経洞に埋め尽きました。蔵経洞から出土した文献は約5万点以上で、そのうち約90パーセントが仏教の典籍であり、道教、マニ教、景教などその他宗教の典籍もありました。文献には大量の漢文写本経巻、蔵文、西夏文、于闐文、梵文、回鶻文、粟特文、突厥文、亀茲文、婆羅謎文、ヘブライ文など多くの古文字写本があります。文献以外にも、銅仏、法器、絹紙画、壁画などいくつかありました。発見の意義は大きく、殷墟甲骨、明清内閣檔案大庫、敦煌漢簡と共に20世紀中国古文献の四大発見と称されています。蔵経洞文献と敦煌石窟芸術の実物は、中国とシルクロード沿線の中古史研究に類ない一次資料を提供し、学者たちに新たな視点を提供し、世界中世史の扉を開く鍵と呼ばれています。しかし、敦煌の地元のひとは洞内の文物の価値を知る者がおらず、清政府もそれをきちんと保護することができなかった。敦煌の遺書や文物の散逸は中国文化に計り知れない損失を与えたが、客観的には東西の学者が異なる角度からそれらを整理・研究し、これによって、1930年代に世界的な学科——「敦煌学」が生まれました。敦煌は全人類の敦煌です。敦煌は中国にあり、敦煌学は世界にあります。
現在、敦煌学は敦煌遺書、敦煌石窟芸術、敦煌学理論を主として、敦煌史地を研究対象とする学科です。敦煌学理論、敦煌学史、敦煌歴史、敦煌言語文字、敦煌俗文、敦煌蒙書、敦煌石窟芸術、敦煌壁画と楽舞、敦煌天文暦など多岐にわたります。中国敦煌地区の文物・文献を研究・発掘・整理・保護する総合学科です。