大連観光スポット

大連の観光スポットについては、次の紹介をご覧ください。人気の観光スポットやカテゴリー別観光スポットで大連の魅力を存分にお届けいたします。

自然景観

203高地/二〇三高地

 1904年(明治37年)、日露戦争が始まると、ロシア軍の基地があった旅順に日本軍が攻め込んだ。乃木希典将軍率いる日本陸軍大三軍は、同年8月に第一回総攻撃をしかけたが失敗し、1万5000人もの死傷者を出すほどの多大な被害を受けた。2度目の総攻撃も失敗したが、それでも11月26日に3度目の総攻撃を開始し、乃木将軍の息子が戦死するなどしたが、12月5日にようやく203高地の奪取に成功した。戦後乃木将軍は砲弾の破片などを集めて山頂に爾霊山と記し、戦死者を弔った。  爾霊山は現存し、203高地の観光名所になっている。山頂からは旅順港が見渡せる。

建造物

水師営会見所

 203高地の陥落を受けてロシア側から停戦の申し入れがあり、1905年1月5日、乃木将軍とロシアのアテッセル中将の会談がここ水師営で行われた。水師営という地名は、1715年(清の康煕54年)に康煕帝がこの地に設けた軍の駐屯地の名前からきている。現存の建物は当時の資料を参考して忠実に再建されたもの。中には日露戦争時に実際に使われている品物が展示されている。

民俗郷土景観

203高地/二〇三高地

 1904年(明治37年)、日露戦争が始まると、ロシア軍の基地があった旅順に日本軍が攻め込んだ。乃木希典将軍率いる日本陸軍大三軍は、同年8月に第一回総攻撃をしかけたが失敗し、1万5000人もの死傷者を出すほどの多大な被害を受けた。2度目の総攻撃も失敗したが、それでも11月26日に3度目の総攻撃を開始し、乃木将軍の息子が戦死するなどしたが、12月5日にようやく203高地の奪取に成功した。戦後乃木将軍は砲弾の破片などを集めて山頂に爾霊山と記し、戦死者を弔った。  爾霊山は現存し、203高地の観光名所になっている。山頂からは旅順港が見渡せる。