烏拉泊古城
烏拉泊古城は「輪台城」とも呼ばれ、新疆ウルムチ市大湾郷烏拉泊村に位置しており、ウルムチ地区で歴史の最も悠久で、規模の最も大きな唐代、元代古建築遺跡群のひとつです。大まかに言えば、輪台県、唐代北庭大都護府と静塞軍といった区域に分かれています。およそ紀元640年前後に建てられ、もう1300年の長い歴史を持っています。烏拉泊古城の存在したことはウルムチの歴史とシルクロードの商業文化の交流史を証明した同時に、1000余年前に中国中央政府はすでに新疆烏拉泊古城で駐軍したことをも明らかにしました。
「輪台城」は唐代北庭大都護府の所轄する県、天山から北彊四道の要衝、シルクロードの新北道に行くために必ず通る場所で、唐代の西域の交通商業貿易重鎮と軍事デイフエンス要衝となりました。唐代有名な将軍兼詩人である岑参は烏拉泊古城に三年間住んでおり、輪台を高く歌う多くの漢詩を創作しました。例えば、「白雪歌」、「輪台歌」、「走馬川」などの作品は勢いが豪快で、愛国主義のテーマが目立ち、評論家に逸品と認められています。元代以降、烏拉泊古城はだんだん衰退してました。
烏拉泊古城は新疆ウルムチ市南西郊から約10キロ離れた烏拉泊湖の畔にあり、海抜は1100メートル、南北の長さは550メートル、東西の幅は450メートル、周長は約2キロくらい、四角形にしています。城垣は完全に保存されており、残された城壁の高さは2-7メートル、基盤の幅は5メートルあります。城壁の四角と城門は外に突き出、城門は城壁の真ん中に設置されています。古城はそれぞれ北東、北西、南西に位置する三つ小さな町からなります。瓮門、城楼、角楼、馬面などの建築は雄大に見えます。城垣の中部に中から外を覗くことができる穴道が設けられています。大規模の建築工事と軍事施設から見ると、重大な軍事意味があることを明らかにしています。
1000年以上の歴史を持つ古城は唐代の「輪台城」と考えられています。城内の地面で遼代と元代の陶磁器、陶盆、玉器、古銭などの文物を発見したことがあります。中国重点文物保護単位と指定されています。
烏拉泊古城を発見したことは現地の歴史を研究することに重要な根拠を提供しています。ウルムチ近郊の開発と発展史はそこまでに限らなく、近年、烏拉泊ダムの近くで発見した古墳群の最新な考古資料は、古城の最盛期から溯る1000年の中国戦国時代に、このあたりに大勢な人は居住したこと及び社会経済はある程度の発展を遂げたことを証明しています。
掘り出した文物によりますと、当時の居民は主に牧畜業を従事し、食糧の栽培をも発展しました。陶磁器は一般的な日常生活用品となっていました。同時に金のイアリング、銅鏡、小鉄器なども発見され、陶磁器の他に金、銅、鉄器の手作り作業もあったことを明らかにしました。古墳から出土した二枚の銅鏡はイリ河流域で出土した銅鏡と同じ時期で、当時の中国大陸部から新疆に輸入した漢式鏡だと考えられています。これらの文物は、2000年前のウルムチは経済と文化における面にイリ、大陸部などの地区と交流し合ったことを証明しています。新疆歴史の研究にもう一つ重要な参考資料を与えています。