敦煌観光スポット
敦煌の観光スポットについては、次の紹介をご覧ください。人気の観光スポットやカテゴリー別観光スポットで敦煌の魅力を存分にお届けいたします。
世界遺産
莫高窟
敦煌の東南30キロ、鳴沙山の東側の絶壁に築かれた石窟群で、窟の数は現存するものが492窟あります。これらの窟は5世紀初頭から約1000年にわたり造営、修復が行われたものです。その様式から判断すると、五胡十六国9、北魏23、西魏2、隋97、唐225、五代34、宋70、西夏25、元7、に時代区分がされます。内部は石質が粗い礫岩であるため四壁と天井を漆喰で塗り、その上全体に壁面を描き、塑造の仏像を安置しています。仏像類は2415尊にのぼり、例外的な石彫を除き鮮明な彩色が施されています。
自然景観
鳴沙山と月牙泉
鳴沙山 市街から南に6キロのところに位置する砂山で、以前は神沙山と呼ばれていました。風が吹くと音をたてるので、鳴沙山と呼ばれるようになりました。鳴沙山はすべて砂が堆積してできたもので、東西に約40キロ、南北に約20キロ広がっています。山腹には風が創り上げた、美しい水波状の砂紋があります。 この砂漠地帯は昼夜の温度差が激しく、日中は砂が焼けて熱くて登ることができません。しかし、朝日や夕日を浴びて金色に輝く風景は、幻想的で美しく、我を忘れて見入ってしまいます。その中を観光用のラクダが列を作って行く姿は、まるで月の砂漠そのものです。 月牙泉 牙泉は鳴沙山の北麓に位置する三日月形の湖...
宗教・信仰・寺
西千仏洞
敦煌市中心から西南に約35キロ行った。党河の流れる断崖上にある石窟で、莫高窟の西にあることから西仏洞と呼ばれる。現存する石窟は合計19ヶ所で、莫高窟と同系列の様式の北魏と唐の壁画が残っているが、大半が破損している。
陵墓・陵園
魏晋壁画墓
1972年、街から北東へ20kmの砂漠で魏晋時代の墓群が発見。2千余りの墓の内13墓が発掘され、8つの墓には壁画が描かれていた。それらは「地下の百科全書」といえるほど、当時の経済、軍事、生活を描き出している。
岩石・洞窟
莫高窟
敦煌の東南30キロ、鳴沙山の東側の絶壁に築かれた石窟群で、窟の数は現存するものが492窟あります。これらの窟は5世紀初頭から約1000年にわたり造営、修復が行われたものです。その様式から判断すると、五胡十六国9、北魏23、西魏2、隋97、唐225、五代34、宋70、西夏25、元7、に時代区分がされます。内部は石質が粗い礫岩であるため四壁と天井を漆喰で塗り、その上全体に壁面を描き、塑造の仏像を安置しています。仏像類は2415尊にのぼり、例外的な石彫を除き鮮明な彩色が施されています。
建造物
漢代の長城
「紀元前121年」酒泉郡が設けられた後に、漢武帝は令居(今の永登)の以西の亭、障、塞を建てはじめた。いわゆる「塞」は長城であり、「亭」と「障」は烽火台であり、大きいのは障と呼ばれ、小さいのは亭と呼ばれる。候官(官職)と候長(官職)から兵士を率いて守備し、彼らは開墾することと辺境を守ることの二重の任務を負った。 西は玉門関の西方から疎勒河の南岸に沿って延々と築かれた漢代の長城。2000年にわたって風触されたため現在残された部分は少なく、玉門関付近で最も保存状態の良い長城を見ることができる。砂と葦や紅柳、胡柳を層にして固め、間に烽火台がつくられた。
橋梁、河川・滝・湖沼
鳴沙山と月牙泉
鳴沙山 市街から南に6キロのところに位置する砂山で、以前は神沙山と呼ばれていました。風が吹くと音をたてるので、鳴沙山と呼ばれるようになりました。鳴沙山はすべて砂が堆積してできたもので、東西に約40キロ、南北に約20キロ広がっています。山腹には風が創り上げた、美しい水波状の砂紋があります。 この砂漠地帯は昼夜の温度差が激しく、日中は砂が焼けて熱くて登ることができません。しかし、朝日や夕日を浴びて金色に輝く風景は、幻想的で美しく、我を忘れて見入ってしまいます。その中を観光用のラクダが列を作って行く姿は、まるで月の砂漠そのものです。 月牙泉 牙泉は鳴沙山の北麓に位置する三日月形の湖...
民俗郷土景観
玉門関
玉門関は、陽関と並び西域・天山南路へ通ずる重要な関門でした。古来より異民族との攻防の地として、漢詩にもよく詠まれています。唐代の詩人・李白の、「漢は下る白登の道。胡は伺う青海の海。由来征戦の地。見ず人の還る・・・」という詩が有名です。玉門関はシルクと玉石の交易の場としても栄えましたが、今は城壁だけが残っています。玉門関を守る屯田兵たちの食物倉庫、河倉故城や漢代長城遺跡と共に、古代シルクロードの盛衰が偲ばれます。